あらためて思う『秋葉原殺傷事件』
2008.06.18
6/14の岩手宮城内陸地震の甚大な被害が大きく報道された今週初め。被害地の方々とお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
さて、今週の週刊誌は予想通り秋葉原の無差別殺傷事件の加藤容疑者の生い立ちに集約される内容となっている。現在は容疑者の母親の子育てと家庭内の不和が伝えられている。殺人者を育ててしまった両親にとって、自分の息子がこのような事件を起こしてしまった事実だけで、充分、罰を受けていると思うのだが、次から次にマスコミの鋭い矢を浴びているようで心配だ。もう袋叩きだ。
警察の調べで出てくる加藤容疑者の心理を読んでいると、彼は全て他者に転嫁しているように思えてならない。『両親の教育の仕方』『派遣労働者の悲哀』『ネットでの孤独』などなどだ。そこに自分の責任はない。最後には「誰か止めてくれれば」となる。
はたして理想的な両親なんて、どのぐらい存在しているのだろうか。大概の子供は反発しながらも我慢を重ねて成長していくのでないだろうか。どんな環境でも「いつかみていろ」と、逆にエネルギーとするものでないだろうか。
『学歴』だって、『容貌』だって、加藤容疑者は普通だと思う。問題は自らの人生に責任を持とうとしなかった心の部分だったのでないだろうか。彼よりもキツイ環境で精一杯生きている人々はゴマンといる。自らの将来を勝手に決めて終止符を打つ。それも無垢な人々を巻き添えにしながらだ。
もうそろそろ『勝ち組負け組』という表現を封印する時期でないだろうか。もうそろそろ『格差』という言葉を避ける時期でないだろうか。人生の勝ち負けは、寿命を全うする時に、一瞬、感じるものでないだろうか。格差だって上を見ればキリが無いのだ。
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