「魁傑、放駒新理事長の素顔」
2010.08.18
新理事長、放駒さんとはどういう人物なのだろうか?
大関魁傑の相撲人生を振り返ればよく解る。日大柔道部に所属し、将来は土木技術者を目指していた。そう、日大工学部出身という異色の経歴を持っている。それが花籠親方の強引な説得により、力士の道を選ぶのだが、最初は「まわし姿になるのが恥ずかしかった」というほどだった。
角界で旧くから言われていることがある。「積極的に入門してきた人物より、いやいや入門してきほうが長持ちする」という話だ。まさに魁傑は、後者だったのだ。部屋には天才輪島がいた。歳も同じだ。天才の後を追うように出世してきた。思えば、あの頃(昭和40年代後半)が、花籠部屋全盛期だった。横綱輪島、大関魁傑、関脇に荒勢、小結龍虎の時代だ。
ところが、酒もどちらかというと『下戸』の部類で、煙草もやらない魁傑を襲ったのが肝炎だった。ひどいときは、魔法瓶すら自力で持てなくなるほどだったが、それでも休場しなかった。記者の「休まないのか」という質問に「休場するのは試合放棄だ」と突っぱねた名科白はいまも語り継がれている。
この生真面目さは『二度の大関転落』を招くことになるのだが、誠実な土俵態度は老若男女の相撲ファンの気持を鷲掴みにした。この生き方は先輩力士から好感を持たれ、出羽の海理事長(横綱佐田の山)体制では、一門の壁を超えて重用され、協会の核となって改革を打ち出した。
それでも、「俺が俺が」の人柄ではないので、目立ったパフォーマンスを見せていないが、「この危機には放駒さん」と期待する声は高まっていた。外部理事や識者の方々も、きっと、「放駒さんなら」と思っていたはずだ。それが今回の人事に結びついたのでないだろうか。定年まであと2年少し。わずか一期だが、やりようによっては「魁傑黒頭巾が解決する」場面が訪れるはずだ。
ところが、この人事に異を唱えた理事がいた。貴乃花理事だ。
こともあろうか、一度、理事長を辞めた北の湖理事を推したという。これほどの角界危機は何処から始まったと認識していたのだろうか。時津風部屋暴行死事件を忘れてはいけない。北の湖理事長は不運にもそのとき協会のトップだったのだ。もし、再び、北の湖理事長となったら、世間はどう思っただろうか。
マスコミはこぞって『貴乃花が角界の改革者』と持ち上げるが、果たしてそうなのだろうか。
もし、協会内部が『放駒体制』の足を引っ張るような振る舞いに出たとき、『国技、大相撲』は完全に『千秋楽』を迎える。