さらば、梨元勝さん。
2010.08.24

確かに肺がんで入院してた。でも、こんなに早く訃報が届くとは予想だにしていなかった。だって、8月2日に病室で対談したばかりだ。FM NACK5『WARMING UP MUSIC』に出演してもらったのだ。およそ7分のコーナーを4本収録し、途中で咳き込み、休憩ををいれながらの録音だたが、「仕事は免疫力をたかめるんですよ」と笑っていた。

過去も病魔に襲われながら、何度か病床に伏しながら、その度に不死鳥のように甦ってきた梨元さんだから、今回の肺がんとの戦いにも勝利すると確信していた。
私は現在、とんでもない喪失感に襲われている。

私と梨元さんとの出会いは28年前に遡る。私が局アナ(文化放送)当時だった。35歳のときに初めて担当したワイド番組『大野勢太郎のおはようラジオ1134』で、週一回、梨元さんがコメンテーターで出演したところから始まる。

この番組は細川隆一郎さん、菊本治男さん、水口義朗さんなど各界の錚々たるコメンテーターを揃えた朝番組だった。そして皆さんはかなり年上だった。その中で梨元さんだけが私より三つ年長という近い世代だった。そしてざっくばらんで、気遣いが細やかで、若いパーソナリティはとても助かった。

この番組は4年も続くのだが、この年月は私と梨元さんの距離をとても近いものにした。ふたりとも体力もあったし、朝番組だというのに夜遅くまで呑んで、食べて、歌って、騒いだ。とても充実した30代後半だった。それまではスポーツ取材ばかりだった私に新しい世界を教えてくれたのだ。人柄が偉そうでないので、上から指導するようなことはなかったが、座談の中で様々なことを教えてくれた。

その後、この影響は再びスポーツ取材に戻ったときに役立つことになる。「妥協せず」「取材対象を愛し」「綿密に裏をとる」ということだったと理解している。そして、私が文化放送を退社後、熊本のテレビ番組『勢太郎のざーっとサタデー』の司会者としてテレビカメラの前に立ったときも援護してくれた。ひと月に一度、ゲストコメンテーターとして熊本に同行してくれたのだ。

テレビ視聴率は20%を超えた。熊本でも、呑んで、騒いで、〆は熊本ラーメンだった。あの笑顔、気遣い、取材とコメントへの責任感。梨元勝さんは28年間、いっさい変化することがなかった。

8月2日収録。8月16日から19日までのオンエアは『梨元勝の遺言』だった。

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