感謝「堀之内聖」への手紙
2011.12.07
サポーターやファンが呼ぶ「ホリ」ではなく、敢えて、「聖」と呼ばせてもらう。10年にわたる浦和での現役生活に悔いはないものと推察する。
私が初めて聖を観たのは、浦和市立高校生のときだった。市立を全国高校サッカー選手権の舞台に導いたひとりだった。あれよあれよと勝ち抜き、あの俊輔と三沢で対戦し、残念ながら敗退した。そのときのイレブンはとても晴れやかな表情だったのを憶えている。その中に、君もいた。「やり遂げた顔」というのはこういう顔なのなだと、改めて思ったものだ。
その君が、学芸大学を経て、ユニバ仲間の坪井、平川、山根と四天王のように故郷の浦和に加入すると聞いたとき、秘かに万歳したものだった。私は、Jリーグのクラブには、地元出身の少年たちが沢山所属していることをいつも夢見ている。戦力的に不足したら他県から補強、というぐらいに思っている。だから、(名門)市立からのプロ選手に大喜びした。
でも、加入から暫くは苦しかったと思う。ツボ、ヒラが早々にデビューしたにも関わらず、キャンプのメンバーにも選ばれず、寒風の大原で汗を流していた。それでも、君はいつも同じ顔だった。不平不満の顔を一度もみたことがない。しかし、当時の師、柱谷哲二コーチはしっかりと君をみていた。体幹を鍛え、プロ仕様になっていった。学芸大学時代の滝井先生との出会いと同様に、君はいつも師に恵まれている。それも、ネガティブな表情をしない君の顔が、いい師を連れてくるのだろう。
そのことは、外国人監督がいつも「後で気がついた」ことでもある。ツボやヒラのような快速でもない、伸二のような天才的パサーでもない、とんでもない長身でもない。外国人監督はいつも君の存在を遠くに置いてしまう。でも、シーズン後半になると、いつの間にかベンチに座り、そのうち貴重なヘディングシュートでチームの危機を救う。外国人監督は、そのときやっと君の持っている能力を確認するのだった。
私は、このような君の生まれついての『運』を感じたものだから、春先き、ペトロヴィッチ監督に囁いた。「苦しくなったら20番だよ」と。でも彼は最後まで君を見ることはなかった。ペトロも君の持つ『勝負運』のおこぼれに預かっていれば…と、今更ながら思う。
長くなりましたが、君との出会いは様々なことを教えてくれました。『我慢』とか『忍耐』というような陳腐な言葉でない、もっと違った『大事な心』を。感謝します。ありがとう。